惟神
日枝神社について
庄内には多くの日枝神社が鎮座しています。
酒田の上日枝神社、下日枝神社、鶴岡にも上日枝神社、下日枝神社があるなど、「山形県神社誌」に掲載された数を見ても16社を数えます。
多くの場合、大山咋神、大己貴神を御祭神とし、お猿さまが神使いである点が共通する他、「神輿渡り(渡御行事)」や山車行列が行われます。天台宗が全国に広がる過程で、長く山王権現という神仏混交の姿のもと、日吉社から全国に勧請・創建されました。日吉神社、日枝神社、又は山王神社という社名の神社は、日本全国に約3,800社あるとされます。
全国的な信仰を集めた理由は何でしょうか?
平安時代には天台宗が朝廷の尊崇を得て大きな力をもち、蝦夷征討と移民政策に伴い神社が創建されました。中世以降は近江商人・日吉神人の活動が山王信仰の伝搬を導いたとされます。一方で、山の神である大山咋神に対する信仰は、古事記以前古墳時代からと伝えられます。大山咋神のご神体は矢先につける「鳴鏑」であり、妃となる鴨玉依姫神との交わりとする伝説があります。大神伝説とならんで、古代人の信仰に根差したものだからでしょうか。

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飽海地域史研究会
飽海地域史研究会は、令和4年6月、酒田・飽海地域の歴史を探究し、その成果をこれからの観光や地域づくりに役立てようと創設されました(小野寺雅昭会長)。地域史の様々な掘り起こしに取り組んでおられます。
7月4日、当日枝神社にて講座が開催されました。地元の方々を交えて沢山の聴講者に恵まれました。小野寺会長より日枝神社と宮野浦と北前船について、宮野浦在住の郷土史研究家である阿部政晴氏より宮野浦のグライダー並びに文化的指標となる黒松についてご講演をいただきました。
ここ宮野浦は、酒田発祥の地として認知されていますが、江戸時代以前の歴史的資料は伝説としてある他は残されていません。小野寺会長は古の宮野浦が”津”として、交易上の重要な地理的場所であった可能性を示唆されました。繰り返された洪水と飛砂によって埋もれた歴史がこの地に眠っているのだと思います。神社はこの地を護ってきた人々の場所アイデンティティの象徴ともいえます。



